日本リベラルアーツ協会代表の船岡です。
私が科学技術そのものだけでなく、その課題や論点、将来への懸念について真剣に考えるようになったきっかけは二つあります。ひとつは大学で鳥人間チームに在籍し、人力滑空機を制作したこと。もうひとつが、長崎県の池島を訪れたことです。本稿は後者の記録を、現在の視点から整理した過去の個人ブログです。
いまも人が住む炭鉱の島
端島(軍艦島)を訪れたことがあったので、炭鉱の街の様子は知っているつもりでいました。しかし池島は、いまも人が暮らしている島です。フェリーで渡り、バスで島のいちばん上まで登りました。台風の影響で坑内見学は休止中でした。
途中、大きな建物が見えます。小学校です。全校生徒は二人でした。かつてと今とでこれほど違うのかと思いながら、頂上で降りると、そこにあったのは静寂でした。耳を澄ますと、波の音、風の音、鳥や生き物の音に気づきます。音がしないのではなく、人の音がしないだけでした。
朽ちていくものに美を感じてしまうこと
建物のほうへ歩くと、廃墟が緑に覆われていました。二度と開かないのではないかと思わせる扉。隙間から覗くと、生活の時間がそのまま止まっています。それでも時は進み、物は朽ちていく。
居た堪れない気持ちになる一方で、そこに美を感じている自分がいました。なぜ美を感じるのか。桜が散るときの感覚に近いのか。答えは出ませんでした。
炭鉱の運営会社が、事故などで亡くなった方を弔って建てた碑もありました。第一次産業に支えられて今日の日本があることは忘れずにいたいと思いつつ、この言葉がどこまで根付いているのだろうかという気持ちも同時に湧きました。
島に残る人たちの言葉
島でほぼ唯一の食堂で一休みしました。閉山後に残った方々のために、調理師免許を取って開業されたお店です。店内には一面のメッセージボードと、この島で採れた石炭が置かれていました。ボードの日付は、また来たときにこの島とこの場があってほしいという願いを示していました。
診療所では看護師の方が少しだけ話してくださいました。まさか池島に派遣されるとは思わなかったこと、それでもやりがいがあること。公民館では、他大学の低年次の学生が合宿形式で島を調査した成果が掲示されていました。書かれていることがどれも率直で、島の方はどう受け止めるのだろうと思いましたが、若い人ならではの素直な感性だからこそ許される部分もあるのかもしれません。若者の役割は夢を語り、綺麗事を大声で言うことだ——お世話になった方の言葉を思い出しました。
当たり前は、いつまで当たり前か
坂を下りきると、炭鉱関連の施設が現れます。遺跡と呼ぶほうがふさわしいかもしれません。かつてこの場所はどんな音がしていたのでしょうか。人々の賑わい、機械の音。いずれにせよ賑やかだったはずです。
台風によって破壊はさらに進んだと聞きました。どんなに大きく立派なものにも、必ず終わりは来る。無常と片付けるのは簡単ですが、時の流れを目の当たりにすると恐ろしさすら覚えます。いま私が当たり前だと思っている物事も、いつかこうなるのかもしれない。そしてそれは、悲観すべきことなのだろうか。
答えの出ないまま島を発ちました。日本の近代産業の成れの果てを見て、開発すること、ものづくり、科学技術とは何なのかを、自ら問い直すようになった一日でした。この問いは、のちに連載として書き続けることになります。
関連するページ
本稿は、2021年1月28日に公開した代表個人noteの記事をもとに、Webサイト向けに加筆・再構成したものです。
Continue Exploring
